NOAの小部屋

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オリーブの葉に緑の幼虫がゐた
10cm近くもあらうかというそれは
ゆつくりと
新芽を食んでゐた

老人がのんびりと畦道を歩いてゐる
唸り声のやうに鼻歌が通り過ぎてゆく

小判草が一斉にざわめく

…大丈夫…
      …大丈夫…
              …行かなゐの…

近所の小学生が座り込んで、小型のゲーム機で遊んでゐた
母親は男と車ででかけて行つたきり
まだ帰つて来なひ

喉が渇いたといふので
麦茶を飲ませてあげた

決まつた
こんな時は比較的簡単に決まる

行 か な い

もう帰る場所はありはしないのだ

オリーブの葉を食みながら幼虫がちらりと見た
泣きなさいと云つた
泣いた。


蕾だつた百合がいきなり咲いてゐた



*・゜゜・*:.。..。.:*・*:゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*



 本日の俳句 


いぬふぐり人信じたき日和かな NOA





 Fernand Khnopff

 
これが私なの
 
「いちばんそっけない口調の時に
いちばん情が籠ってるね…」
 
ドキっとした
 
心の奥底にある石を
いとも簡単に取り出して
手の平で転がされているようで
 
ほっとけないのはそっちの方だよ
 
私のことなんて気にせずに
そのままの唯一無二の存在で
折れることなく
いつも突っ走っていて
 
 

 
Andrew Wyeth「幽霊」1949年
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緻密なタッチで筆を走らせながら
イーゼル越しにのぞく
アーモンド型の瞳は
猫科の狩人のようで
 
その他大勢など視界に入らない
あなたと私を繋ぐ直線のエリアだけが
熱を放っている
 
Tシャツ越しの体
全て見透され
血管や筋肉
細胞までもが
あなたを通してろ過され
キャンバスに焼きつけられる
 
壁の落書きも
照れた笑顔も
無口な横顔も
全てあなただけど
 
一点だけが
鮮やかに紅く燃えていて
 
その紅さで
私を射抜き
全て抱え込んで
強力に反転する
 
もう帰ってこれない
…とすら思えてしまう
 

 
 
 
アンドリュー・ワイエスのこの絵の原題は「The Revenant」。
「黄泉の国から戻った人、亡霊、幽霊」という意味がある。
長い間閉めきられていた部屋のドアを開けて、
埃にまみれた鏡に映った自分の姿を見た時、
幽霊と間違えて驚いたのだとか…
 
自画像というよりは、あくまで部屋の一部としての自分、
窓際の蝿の死骸、ぼろぼろに破れたカーテンと共に、
そこにある小道具としての自分を描こうとしたのだろうか。
本当の主題は白。彼にとって白は死のイメージにも通ずるようである。
 
この「幽霊」の描かれた1949年に、ニューヨーク近代美術館に
「クリスティーナの世界」を買い上げられ、
これをきっかけにワイエスは一躍有名になった。
「幽霊」はちょうどその時期の作品であり、
彼がそのような意図を込めて描いたかどうかはさだかではないけれど、
突然降って沸いた名声に居心地の悪さを感じている、
彼の違和感・驚き・不安をも感じられるようである。
 
この部屋の鏡を通して彼が観たふわふわと幻想的な姿は
この時期の彼の内面を表した、やはり紛れもない自画像であると思う。
 

 
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 雑踏の中から
ふとハスキーボイスが聴こえた
 
振り向いた
 
あなたじゃなかった
 
 
人と人が交錯するこの場所に
忘れてきた想い出…
時々、拾ってしまうのは。
 

 
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夢を見ていた
辿りつけそうで辿りつけない
そこを目指しているときには気が張り詰めていて
困難も気力で乗り越え
寝ている時も戦っていた
 
ふと気付けば
子供の頃に封印した筈の傷がぱっくりと開き
上からも下からも血は噴き出し
刻まれた深い傷は
今更のように痛みだす
もう元には戻らない
 
重圧に押しつぶされそうになりながら
そこを目指し
手に入れたものは
何だったのだろう
 
今もこの手にあるんだろうか
 
辿りついた先に何があるかなんて
わからなかった
 
何処かに辿りつけるのか
何かが手に入るのか
今もわからないまま
 
これからも
歩き続け
戦い続け
進み続けるしかない
 
強くても弱くても
 
ひとりでも
 







 


絵/【空間概念 期待】Lucio FONTANA(1899~1968)
水性絵の具、画布115.7×89.0cm


 
台風が直撃するようですね…

 
先日のも大変でしたが、
今回は更に大きく被害が心配です。
皆さまお気を付け下さいね…
 

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